交換留学 高校留学 はどうやって行くの?ニュージーランド編

 交換留学高校留学をしてみたい!から実際に行くまでの流れ!

自分が生まれ育った場所、今いる環境を変えるというのはいつでも大きな影響を与えてくれる。学生でも大人でもいつの時代でも日本の外に目を向ける人は必ずいる。そんな留学だが今では学校でも留学プログラムが整っており昔よりも身近なものになっていると思う。
では実際に『留学に行ってみたい』と思ってから実際に行くまでどのようなステップを踏んだのか経験談を簡単に備忘録として書いていこう。私は実際に留学に行った学生ではあるが、当時の両親の手続き等も書いて行くので参考になればと思う。
今回は『高校留学、交換留学編』である。

はじまり

まずは留学をしてみたいと思うところから物語は始まる。高校生だと親に言われて嫌々行くこともあるかも知れないが、親が用意する書類等の多さは想像を超える多さであり負担はとても大きいことを頭に入れておいて欲しい。また大学留学やワーホリと大きく異なる点は留学する学生が未成年ということである。私が留学した時は高校一年生で当時15歳だった。
大まかに流れを書くと
留学に行く決心
留学の期間と種類を決める
留学エージェントを選ぶ
書類用意
団体によるオリエンテーション
出国
となる。

まずは留学に行こうと思うところから

    
まず留学に行こうという思いがないと始まらない。覚悟のような大きなものを持つに越したことはないが小さな興味で十分だと思う。交換留学は文化交流であり多くの経験を学びに行くというのがゴールなのだ。私は成田空港で両親に見送られる時に初めて自分が行くという現実感を覚えたと思う。
交換留学に必要なものは最低限の英語と自分から進んでく意志だけである。簡単なことだがこれは日本ではなかなか確かめることができないことだったと思う。当時の高校一年生の私は今まで築いたものがさも自分の能力だと錯覚していたと思う。
例えば友達の作り方はどうだっただろう。日本では学校がクラスを用意し、席を用意し、イベントを用意した上で、自分が何もしなくても環境が友達さえも用意してくれていたのだ。しかしいざ他の国の全く新しい環境に身を置いた時に初めて自分が無知で無力であることに気付く。友達を作るために自分から環境に飛び込まなくてはいけないことに気付くのだ。また時にその環境さえも一から作らないといけないこともある。そして自分に興味を持つ人と持たない人の違いがわかるようになり、自分自身で興味を持ってもらうように行動することを覚えて行く。生きて行く上で必要な能力だが良い年をした大人でも知らない人も多い。性格どうのこうの問題ではなく、このことに気づかず学べず年を重ねる人がいるのは事実であろう。
また学んだ事などは違う記事でかければいいなと思う。今回は次のステップを見ていこう。留学を決めた後は何をするのか。

留学の種類を決める

では留学をしたいと思ってからまず調べることはどんな留学をしたいか種類を選ぶことである。
大まかに留学の種類を分けると、交換留学と私費留学に分けられ私費留学はさらに長期のものとサマースクールのような短期のものがある。簡単に説明を加えると、サマースクールは現地の学校が夏の間の短い期間に留学生を受け入れるプログラムであり短期語学研修プログラムなどと呼ばれる。ひと夏の海外での思い出を作りたい人にはもってこいだ。交換留学は留学期間が決まっており文化交流が基本となる。長期の私費留学は自由度が高く現地の高校を卒業したい人はこの選択になる。
今回の記事で取り上げる交換留学の大きな特徴はまず留学先の学校が公立高校であることが多く、その分私費留学に比べて費用が安い。交換留学を受け持っている団体の数は私費留学に比べてはるかに少なく、団体の多くは国の認可をうけているNPOの公益財団法人やNPO法人が多く営利を目的としない斡旋団体が事業を行なっている。交換留学に決めたら次は留学エージェントを選ぶ必要がある。

留学エージェントを選ぶ

そして留学エージェントを選ぶのだがもちろん留学会社により費用や内容が変わってくる。どこの団体も資料など簡単にもらえるので比較しやすい。学生の派遣先がヨーロッパの国が多いとこやアメリカにしか派遣していないとこ、とても珍しい国を受け持っているところなど、留学エージェントによって派遣先の国が違っていたりする。エージェントを選ぶのだがほとんどの団体は入る際にテストと面接を受けることとなる。テストは一発限りではないため何回も受けている生徒もいた。
団体によってテストの際に求められる英語力は違うのだがこの時の英語力によって留学できる国が変わってくる。例えば私が選んだエージェントの場合はアメリカ、ニュージーランドに留学する際の英語力とイギリスに留学する際の英語力は大きく差がありイギリスへの交換留学の場合は高い英語力がこの時点で必要であった。
私がこのテストを受けた時は英検準二級程度の英語力であり留学先はニュージランドだった。英語力はとてもギリギリのレベルだったことを覚えている。

書類を用意する

ここからとても多くの書類が必要となってくる。これは自分が当時ニュージーランドへ必要だった物なので現在は変わっていることがあることを頭にいれておいて欲しい。また留学先の国によっても変わってくる。私の場合テストと面接を受け合格が決まってから出国まで7ヶ月ありその期間で以下の書類等を用意する必要があった。
  • 学生ビザ申請書類
  • 学校の英文成績証明書
  • 担任教諭の推薦書
  • 英語科担当教諭先生の推薦書
  • 銀行貯金残高証明書
  • 中学校の推薦書
  • 健康診断書
  • 予防接種の記録
  • 医療に関する委任状
  • 保護者同意書
  • ホストファミリーの希望や留学においての要望
  • ホストファミリーへの手紙
  • 両親によるホストファミリー宛の手紙
  • スナップ写真
  • 自分の自己紹介
他にも保険や銀行講座開設などの書類や日本の高校との誓約書などがある。
ビザの申請書類では写真やパスポートのコピーの他に胸部レントゲン検査証明書が必要でニュージーランド大使館の指定された病院に行き書類をもらった。私は東京に住んでいたためあまり不自由はなかったが、決められた英語での書類を受けとるために数少ない決められた病院や窓口に行かなければならず週末を使い沢山の建物を周った。
学校の先生には忙しいところ推薦書を書いてもらいとても感謝している。校長先生とは特に話したことは無いに等しいが丁寧に(だいぶ褒めて)書いてくださった。感謝。
また上記の書類は全て日本語と英語での両方の記入が必要だった。エージェントからは記入の仕方についての書類ももらったが、それと照らし合わせながらでも大変な作業だったと思う。
ホストファミリーに関して私が要望して良かったことは同じ留学生がいる家を選んだことだ。当時私がお世話になったお宅には中国人の留学生とスウェーデン人の留学生がいたが二人がいてくれて本当に良かったと思っている。多くの学校で留学生は留学生同士仲良くなることが普通だ。私が留学する前から二人の留学生は学校に通っていたため、彼らがいたコミュニティに私がそのまま入るような形になり、学校での自分の居場所が初めからあった。そのおかげもあり友達関係で困ることはあまりなかったと思う。またもともと日本人通しでも英語を話すという暗黙の了解があり日本語を話すような機会はとても少なかった。
また別記事でニュージーランドの留学の思い出を書こうと思うが、ニュージーランドの一番良かったことは人と人が近いということだ。これを生み出しているのはニュージーランドのマオリの協調的な文化だ。個人的な意見だが田舎に行けば行くほど人はいい。ニュージーランドの大自然と人と人の明るい空間はとても記憶に残っている。

オリエンテーション

エージェントによるオリエンテーションでは銀行やお金について、現地でのルールや学校の規則、文化の違いなどなど多くのことを学んでから出国する。ここで多くのことを教えてもらったからこそ多少のトラブルは自分自身で解決することができたと思う。銀行についてだがニュージランドでは EFTPOS (エフトポス)というデビットカードのようなもので生活した。口座を閉める時も一人で簡単にできたことを覚えている。文化の違いなどはこのオリエンテーションで大方知ってはいたが、ニュージーランドでは食器を洗った後の洗剤をしっかり流さない。簡単に拭き取って終わりなのだ。改めて目の前でみると大きなカルチャーショックだった。(ホストファミリーが食洗機を持っていて安心した)
ここでホストファミリーとの付き合い方や持って行くお土産についても話を色々聞いた。今思い返せばお土産や持って行った日本を紹介する本、折り紙など考え過ぎていたことも多かったと思う。王道ではあるが扇子などはとても喜んでくれた。今となれば日本を紹介する本などは要らずiphoneでことは済む。
早めのうちからFacebookを使っていると良いかもしれない。自分の周りの写真などを上げておけばホストファミリーなどに見せやすく、何を言おうFacebookは少なくともニュージーランドでは必須のツールであったからだ。

簡単な説明となってはしまったが出国までに様々な準備があった。改めて見直してみると両親の負担は大きなものだったと痛感する。当時のレートで生活費を除いて留学費は合計145万程度だった。現在は値段が上がっていると聞いている。
ちなみに自分は留学中にiPhone5を水没させた。その時は申し込んだ観光ツアーの最中だった。ポケットに携帯が入ったまま着衣でプールに飛び込んだのである。青春である。その後友達の携帯を借り「スマホ水没処置」でググりまくりyahoo袋にたどりついた。
 

(これに似たことが書かれてあった)

しかしその時はニュージーランドのとても自然豊かな田舎の場所にいたため、高校一年生の私は藁にもすがる思いで小さな売店で米を探した。米はあった。しかし一番小さくて3kgくらいでだった。それからツアー中の私のリュックサックの大部分は米であった。米とともに雄大なニュージーランドの大自然を周ったのだ。はたから見れば米なしでは生きていけないアジア人と思われていたと思う。これも青春の1ページである。
 
追伸
iPhoneの画面が点くことはありませんでした。